人生と鉛筆✏️

人生を何に喩えるか? これにはいろんな方向があるだろう。私は長らく砂時計のように思っていた。不可抗力的に流れていく。そして上の砂がすべて流れ落ちたとき、死を迎える。なんとも寂しいメタファーだ。でも、このように思っている人も少なくないのではないか。なぜなら生きることは取られなく死に向かっている。生まれ出るものはすべて生まれた瞬間から死に向かっている。これは厳然たる事実。 しかし、このたとえには決定的に欠けているものがある。それは「主体性」だ。ただ何もせず砂が落ちていくのに対して無力な人の姿に主体性はない。だから、このたとえは間違っている。 そこで思い巡らせてたどり着いたのが鉛筆だ。一本の鉛筆。そのままでは生きているとは言えない。行動することによって鉛筆として意味を持つ。つまり書くことで鉛筆の意味が出てくるように、生きることも生きることで意味を持つ。そして書けば書くほど鉛筆は短くなる。そして書けなくなったところが死だ。つまり生きることはすり減ることだが、ただ単にすり減るのではなく、書くという行為によってすり減っていく。書くという行為は必ず何かしらを、軌跡を残す。 何を書くか。この問いはどう生きるかという問いと直結している。なにも公表するものを書く必要はなく、あるいはそれは文章でもないかもしれない。大きく捉えるならそれは作るということだから。つまり、生きることは作ること、書くこと。人生をかけて大きな絵を描くだけが人生ではない。誰にも読まれない一言を書くという生き方もある。そして書かれた作品は読まれることで作品となる。生きた証を残すといった大げさな話ではない。 芯(心)が折れることもある。折れたら書けない。その場合には助けを借りて削らないと再びかけるようにはならない。芯には太いのもあれば細いのもある。 何を書くかも大事。ただ単に線を書いていてもそれが絵になる場合も文章になる場合もある。どの方向に線を伸ばすか、どこで線を曲げるか。 人の描く線に憧れて自分の線を伸ばす人もいる。親の線をなぞるように線を描いていたということに気づくこともある。 キリがないが、とにかくそういうことにしておく。

July 22, 2026

こころとことば

接続詞の「と」がつくとき、その前後にある言葉は基本的に対立することが多い。善と悪など。なので「こころ」とくれば後ろにくるのは「からだ」のことが多い。 いわゆる心身二元論。 しかし、カネコヤアノはこころとことばをつなげる。この二つは対立するわけではなく、連立するものとして並べられる。 こころとことばは手を繋ぐ。 本当は簡単だから 簡単なことを知っているから難しい 何が簡単なのか。考えているのとをかたちにすること。ことばにすると簡単だ。考えていることをことばというかたちにすること。しかし、簡単だからこそ難しい。ここにはことばの持つ有限性がある。この世にあることを全てことばで言い尽くすことはできない。 こころとことばはなぞなぞみたいに かわいくからまる 考えていることをことばにするのは難しい。からまって解けない。なぞなぞみたいにうんうん唸りながら答えを見つける。それでもことばに頼る他ない。考えていることを伝えるためには、そうするしかない。

July 21, 2026

テキストサイト的

テキストサイト的なものをはじめたかった。テキストサイトというのは、いわゆるプラットフォームが出てくる前の個人サイトのことで、個人でHTMLを書いてFTPでアップロードして更新する、そのような類のやつ。 最初からnoteとかsubstackというのは違うなあと感じていた。多分すごく簡単にできるんだろうけど手軽さを第一に求めているわけではなかったから。 それでどうしようかと考えて、行き着いたのがこれ。GitHubとCloudflareを繋げて、HugoでSSGするというので、無料枠でできた。お金かかるとすればドメインだけど、それは今のところ考えないことにする。 いわゆる個人サイトにありがちな私が誰かというのも今のところ考えない。極めて匿名的なサイトとして存在する個人サイトがあってもいいのではないかという。noteとかsubstuckではこうはいかない。 あと、こだわったのはiPhoneだけで完結するということ。これはまあなんとかなった。Cloudflareの設定でちょっと苦労したけどなんとかなった。まあ、なんとかなったのはGeminiやClaudeのおかげなんだけど。

July 20, 2026